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伊能忠敬の生き方/夢へのカムフラージュ

伊能忠敬に興味が出たのでさらに調べてみました。

「日本地図を最初に作った人」とだけしか認識していませんでしたが
この人すごすぎでした。

てか、凄すぎるから歴史の教科書に載ってるのか。

『地図を作る』のは夢を実現させるための目的だったのではなく、夢に近づくためののカムフラージュだったのでした。

参考:
ウィキペディア(Wikipedia)
伊能忠敬の生涯

まずは経歴のダイジェスト。(かなり搔い摘んで書いてるので間違っているかも)

伊能忠敬
18歳くらい
酒造家伊能家の婿養子となり、
倒産寸前の家業、その後約10年間で立て直し、ぼろ儲け。

36歳
村の名主となる。

38歳
農業不作が続き、米が値上がりすると思って買い占めたら、米は値下がり続け大損。
損切りした方が良いと進められるも売らずにキープという判断をする。

その直後、大洪水によって農業が大損害。

困った地域農民に売らずにキープしていた米をばらまき貧民救済。
(この時、米の値段は高騰しているはず)

あれこれ危機を脱した後、米を売る。
残った米だけでも、ぼろ儲け。

50歳で第二の人生スタート。
幼い頃からの夢だった天文学に向けて走り出す。
弟子入り志願した師匠はなんと約30歳年下。

『いったい地球の直径はどれくらいなのか?』という大きな疑問にトライするため、
「北極星の高さを2つの地点で観測し、見上げる角度を比較したら、地球は球体なので外周が割り出せるのではないか?」という仮説を立てる。

そして、計測する2つの地点は遠ければ遠いほど良いので、一番端っこの蝦夷地(北海道)までいって距離を測りたいと考えた。

しかし、当時は蝦夷地に行くには幕府の許可が必要だったので、“私、蝦夷地の地図作ります。しかもすべて自費でやりまっせ。家業でぼろ儲けしたしなww”的な感じで幕府に申し入れし、認められる。

地図作りは、目標達成のためについた嘘というか手段で言い出した事なのでした。

そして、夢へのカムフラージュから生まれた「地図」のクオリティがあまりに高いため、

「そんなんできるんやったら、日本全国つくってーや」と頼まれ、70歳まで歩き続け歴史に名を刻んだというわけ。

刺激受けました。


伊能忠敬測量隊


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