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13th Archiforum 誰がために建築は建つか/講師:dot architects(建築家)

2011年1月29日(土) TOTOテクニカルセンター大阪にて開催された
13th Archiforum の第9回目のレクチャーに行った。講師はdot architectsさん。
本日のレクチャーにつけられたタイトルは「超日常」。

dot architectsさんについてはこちら。 → Why dot architects? 
当日のレクチャーのtwitterまとめはこちら。 → Togetter - 「アーキフォーラム20110129 dot」


■建築にどのように関わるか?
彼らの最新住宅プロジェクトのNo.02では、
「セミプロ、アマチュアが設計施工に介入できる場を増やすことができる1つのやり方」が模索されている。
施工に、プロ(専門家)だけでなく、セミプロ(建築関係者など)やアマチュア(クライアントなど)
を参加できるように配慮して設計を進めている。
このプロジェクトには、まだ敷地しか決まっていない初期段階から、コーディネーターの満田さん(構造家)も関わっている。

レクチャー後すぐに、まずはコーディネーターである山口さんによる「超日常」に対する解釈が述べられた。

『(今日のレクチャーでは超並列という言葉があまり出てこなかったが)個人的には設計の方法論というよりは
むしろアマチュアなど誰もが参加できる枠組み作りの言葉として超並列を使っていたのだろうと感じた。
そういう意味で今日の「超日常」という言葉の意味も理解できた。』


誰もが建築に参加できる、誰もが建築を造ることができるようにしたい。


■インクルーシブアーキテクチャ
会場からの質疑応答タイムでは、
インクルーシブアーキテクチャって何が狙いなのか?
ということに興味が集中していた。

大阪の会場でこのような議論が行われる裏側で、藤村龍至さんはtwitterでこうつぶやいていた。
『「インクルーシブアーキテクチャ」は、建築のことを積極的に「考えさせる」アーキテクチャとして
 施工プロセスを捉えるというアイデアではないか』


「インクルーシブアーキテクチャ」によって、建築のことを積極的に考えさせることができる効果がある。


■建築のことを積極的に考えること(関わること)で何が起るのか。
ここから個人的な妄想が始まる。

思い出せば、レクチャーの中で印象的だったのは、dot家成さんが
パナソニックのDVDレコーダーを買うといった感覚と同じように、家が買うものになっている。』
と、少し悲観的に話したことだった。


もちろん、家は「買うもの」である。


今回の話の流れから、「買うもの」という言葉には2つの悲観的な意味が込められているよう感じた。


1つ目は、建売住宅や分譲マンションなど、「出来合いのもの」を買う人が増えている。
これでは、建築家や設計事務所としての出番が減る一方だということ。

2つ目は、出来合いでないもの、すなわち、設計者に注文して「一緒に作り上げていく」場合でも、
希に「出来合いのもの」を買うのと同じような感覚を持ってしまうということはないか?ということ。


例えば、「一緒に作り上げた」ものに、購入した電化製品と同じような感覚でクレームを言うはおかしい。
こんなケースはレアであると思うが、全くないという話でもない気がする。
建築のことを積極的に考えることができれば、こんなことは起こらない。


dot家成さんはこうも述べていた。
『自分達(クライアントや設計者など)で作る方が、きっと愛着も湧くし長持ちさせることにつながる。
 最初から新品住宅を買って、いきなり柱に頬擦りしたくなるくらいに愛着が沸くことなんて無いでしょ(笑)』
『自分でクロス(壁紙)貼ったとこ剥がれてんでwww』
と笑って済ませられることがあってもええんじゃないのか。と。

とすると、会場から(白須さんから)の質問はこうだ。
『「インクルーシブアーキテクチャ」ってのは、愛着を担保にクオリティが損なわれるのではないか?』
対するdotさんの答えはこう。
『愛着を担保にしているつもりはない。クオリティという言葉の指している意味がよくわからないが、
クオリティは損なわれていない。うまく答えられないがクオリティは上がるはずだ。』
このとき私が思ったのはこう。
『愛着っていう新しい建築クオリティ。っていうか。クオリティ、クオリティって
誰のためのクオリティなのか?クライアントのため?設計者のため?』と。


そこで、私が高校生の頃、古着が好きだったことを思い出した。
古着が好きな私にとって多少のボロボロ、汚れや穴は関係なかった。気に入れば買う。
むしろソレが個性というか、一品もの足らしめていると感じることもある。
他人には理解してもらえなくても、本人には新品以上の価値を感じている。
新品のジーンズを買って、わざと破いたりするなんてこともあった。
親には、そんなボロボロのどこがええねんと言われる。うるさいわ、黙っとれ。と反抗期のような感情の次には、
愛着に似た執着のようなものが生まれていた気がする。


話が逸れた。


「出来合いの」建築に、最初から「愛着」を持つのは難しい。
愛着とは長く慣れ親しんで生まれる感情だから当然である。
でも、施工段階まで関った『一緒に作り上げたもの』には既に愛着が湧いている。
例えば、陶芸で自分で造った皿に愛着がでるように。ボロボロさや、ミスを愛着で担保しようという話ではない。
「愛着」という最強の初期装備できるかもしれない。


■夢の施工休暇
また、dot家成さんはこうも述べていた。
『育児休暇みたいに施工休暇があればいいですねwww』


半分冗談のような話だが、マジだ。


「一緒に作り上げた」設計図は、クライアントと設計者との間に生まれた「こども」のようなものである。
育児休暇のように、施工休暇があれば、完成までに関わる機会をもっと増やすことができる。
「こども」の成長(工事中)に親(設計者とクライアント)が関わることのは理想的かもしれない。


こんなことも思い出した。
学校等で自分の子供が何か問題を起こした時、まるで学校や教師が悪いんだという具合に
保護者が一方的にクレームを言いまくるのは少し違うのではないかということ。
親自身がどのように育ててきたかということは無関係ではないはずなのに。
「モンスターペアレント」と称される理不尽な要求をする保護者がいるらしい。
消費者意識が暴走し「同じ値段を払えば同じ商品が手に入る」という意識で教育サービスを捉えている
からであるらしい。


よく話が逸れます。


マイホーム購入は一世一代の大きな買い物だとよく言われる。
言うなれば「非日常」である。
だが同時に、生活とう将来の「日常」のことを考える機会でもある。


非日常でもあり日常でもある
建築のことを積極的に考えることができる
誰もが建築に参加できる枠組みとしての「超日常」
施工休暇で味わう「超日常」。


■初心。
建築で「同じ値段を払えば同じ商品が手に入る」ことはほぼ皆無であろう。
「コピーペーストでつくられた建売住宅」は別として。
パナソニックのDVDレコーダーでもない。
十人十色。
建築に絶対の解答、同じ解答なんてない。
ないからこそ面白い。
一期一会とまでは言わないが、巡り会ったクライアントと建築をもっと共有したい。
ベストを尽くし良いものを造りたい。
ただ、それだけ。

今日のレクチャーは、こんな初心的なことを改めて考えさせられる機会となった。

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